株式会社白寿会
窮地を救った2度の売却 思い切った「見切り」がその後の事業成長につながった
譲渡企業 | 譲受企業 |
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㈱白寿会 | ㈱日本アメニティライフ協会・㈱ソラスト |
神奈川県 | 神奈川県・東京都 |
介護 | 介護 |
スキーム 事業譲渡 |
思いのこもった事業を売却するという重い判断
その決断があったからこそ、今がある
インテグループを通じて、2度のM&Aによる事業譲渡を行った白寿会。
介護事業進出のきっかけになった施設と病を押して開設にこぎつけた施設、そして思いのこもった事業を手放すという重い決断でしたが、振り返ればこの「見切り」が会社を救い、収益を安定させて、今に至る基盤を築いたと吉見誠一代表は話します。
事業譲渡に至る経緯や、手続き中に感じたこと、今後の事業展開などについてお話を伺いました。
自分が介護事業に関わることになると思っていなかった
まずは、介護事業を始められた経緯についてお聞かせください。
元々は、コンサルティング事業をやっていて、相続対策や資産活用などをおもに手掛けていました。
2000年頃、ある方から「相続税の関係で、土地を売らなければならないと言われているが、どうにかならないか」という相談を受けたんです。手を尽くして、売らずに済んだ土地の一部を有効活用したいということで、オーナーさんが有料老人ホームを建てて経営することになりました。
ところが、実際にスタートしてみたら、「これまで農家だった自分たちには、やはり荷が重い」と白旗を揚げられてしまって。
経営者がいなくなっても、建物はできている、従業員は雇ってしまっている、入居者もある程度決まっている。さて、どうしようというところで、私がやむなく経営を引き継ぎました。まさか自分が介護事業に関わるとは思っていませんでしたね。
経験もない中で、ご苦労があったのではないですか。
当時はまだ介護保険が始まったばかりで、世の中的にも、社会福祉が事業として成り立つとは認められていない時代でした。
それでも、オーナーさんが有料老人ホームをやろうと思われたのは、おそらく「社会貢献したい」という気持ちの表れだったのでしょう。出来上がった施設は、オーナーご夫婦の思いはもちろん、設計を担当した著名な大学の先生の理想などもすべて注ぎ込んだ、いわばパラダイスのような場所でした。
しかし、ハード面に資金を投入しすぎていて、明らかに重装備でしたから、すべてが満床になっても黒字にならないわけです。金融機関も「社会福祉が商売になるわけがない」という見方が大半で、融資してくれません。1年半のあいだに銀行を8行回りましたが、全滅でしたね。
それでも、規制緩和が進み、市街化調整区域に医療法人を建てていいということになってからは、少し状況が変わりました。有料老人ホームの嘱託医をお願いしていた開業医の先生と協力して、介護と医療を連携させたグループホームを建て、5年間で5施設まで増やしました。
今でこそ、介護医療連携をうたう施設は一般化しつつありますが、我々が2004年に開設した最初のグループホームは、クリニックが併設された神奈川県で最初の施設だったんです。週に1回はドクターが往診してくれますし、ナースは専属です。職員たちも次第に医療知識がついてきて、入居者さんのケアが行き届くようになりましたから、とても喜ばれました。
思いのこもった事業を手放すということ
介護事業進出のきっかけとなった老人ホームは、問題はありながらも、堅調だったわけですね。
そこから売却に至った経緯とは。
2011年にサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の建設を始め、オープンを半年後に控えたとき、私に喉頭がんが見つかったんです。
忙しい時期だからと、通院で抗がん剤治療をしたのですが、治療の経過が悪く、オープン後すぐに入院することになりました。やむなく3ヵ月現場を離れることになったのですが、これがひとつの分岐点でしたね。
退院して、サ高住の様子を見に行ったら、見知らぬ人がたくさん出入りしていました。いつの間にか外部の事業者に入り込まれていたのです。そこから、毎月多額の欠損金が生じるようになりました。
結局中小企業は、経営者が営業部長であり、総務部長であり、経理部長であるわけです。経営者が倒れてはどうにもならない、ということを痛感しましたね。
あっという間に欠損金は2億円近くまで膨らみ、もはや介護事業で取り返すのは不可能でした。とはいえ、オーナーさんのことや建設費のことなどを考えると、簡単にあきらめるわけにはいきません。
見切りをつけられずに悩んでいたとき、インテグループさんのダイレクトメールが目にとまったのです。完全成功報酬であったこと、できないことはできないと最初から言ってくださったことが決め手になり、お願いすることにしました。
2回目の売却についてもお聞かせください。
最初の有料老人ホームとサ高住の売却の際は、とにかく損失施設の処理だけできればいいと思っていました。ところが、公募制で驚くほどの値がついたんです。
「地場で施設を増やしていきたい」という買い手側の思惑とタイミングが合致したおかげで、入居者さんから預かった保証金まですべて引き継いでもらうことができました。
そういう経緯があったので、1年後に資金繰りの必要に迫られたときも、「グループホームは黒字だけども、売らざるを得ない」とインテグループさんにご相談しました。最初は値踏みのような形で各社に打診していただき、そこでかなりの値段がついたので、売却を決めたという流れです。
売却が決まったときはどのようなお気持ちでしたか。
老人ホームとサ高住を売却したときは、「これで一安心だけど、まだまだ楽じゃない」という気持ちでしたね。一度きちんと赤字を清算することが大切で、売却したおかげで一息つくことができたんだとわかってはいても、心残りなところがありました。でも、見切りが下手だと、なんとかなるんじゃないかと思って粘ってしまい、結局損失が膨らんでしまう。
その点、2度目は見切りの重要性が身に染みていましたから、売却を決めた時点で、ある程度吹っ切れていました。もちろん、気持ちの整理をつけるまではしんどかったですが、無理をして続けていたら、もっとたいへんな結果になっていただろうと思いますね。
経営陣や従業員、入居者さんに対しては、どのような思いでしたか。
経営陣には、インテグループさんから1回目の売却金額を出していただいた時点で説明しました。
「やれるだけのことはやったんだから、もう手放してもいいんじゃないですか」という反応でしたね。背中を押してもらった気がしましたが、売却後の従業員の待遇は心配でした。
当社は、福利厚生が他の事業者さんに比べてかなり手厚く、毎月の給与や賞与も平均より高いので、離職率が低いんです。働き始めてから1年を経過するとほとんど辞める人はいませんし、10年勤続表彰を受ける社員もたくさんいます。ですので、従業員たちが、これまでと同じ待遇で働き続けられるようにしてほしいということだけは、買い手側に強く伝えました。
入居者さんに対しては、売却が決まったときに直接ご挨拶をしようと考え、皆さんが一堂に会するおやつの時間に伺ったんです。そこで、労いの言葉とともに花束をいただきました。
私たちは、本来なら会社側と入居者代表で行う運営懇談会を全家族参加で実施するなど、開設当初から、入居者さんといっしょに施設を作り上げてきました。そうした経緯や思い出が一気によみがえってきて、「ああ、申し訳ないことをしてしまった」と改めて感じました。
あのときは、周りの目もはばからずに涙しましたね。
強みを活かし、グループホーム一本で事業を進める
今後の展開についてお聞かせください。
介護事業は、全国でも小規模な企業が多い特殊な業界で、今後どうあるべきか、どういう形で事業を展開していくのが一番いいのか、私もいまだに暗中模索の状態です。
ただ、当社には、長年蓄積してきたグループホームのノウハウがあるというアドバンテージがあります。また、当初から弱者救済を目的として、生活保護を受給されている方を多く受け入れてきました。ですので、これまでの実績から、行政機関から利用者さんを紹介していただけることも強みのひとつです。
こうした強みを十分に活かすため、特別養護老人ホームや介護老人保健施設、在宅介護などに事業を広げることはせず、グループホーム一本で行くつもりです。おかげさまで収益も安定しましたから、少しずつグループホームの数を増やしていく方向で考えていきたいですね。
最後に、インテグループに依頼して良かった点をお聞かせください。
あの機会を逃したら、倒産して路頭に迷っていたかもしれないと思うと、我々が今あるのはインテグループさんのおかげだといっても過言ではありません。
ビジネスとして割り切る部分は割り切りつつ、できるだけいい条件で売却できるようにと、こちらの利益も考えてくれる温かさがありました。
施設を増やしていくというフェーズに入った今、インテグループさんにお願いして本当に良かったと心から思っています。