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株式会社ハルインターナショナル

旅行ベンチャーを売却して華麗なる転身 プロバスケチームの“異端経営者”島田慎二氏

譲渡企業譲受企業
㈱ハルインターナショナル㈱リログループ
東京都東京都
海外出張手配企業福利厚生の総合アウトソーサー
スキーム 株式譲渡

男子プロバスケットボールリーグ・Bリーグの「千葉ジェッツふなばし」代表取締役社長を務める島田慎二さん(47)は、かつて旅行ビジネスのベンチャー企業を立ち上げた経営者でした。自身の会社をM&Aで売却したのは30代最後の2010年のこと。華麗なる転身を果たした背景には、どんな思いがあったのでしょうか。

 

クラブ社長とリーグ副理事長の「二刀流」

Bリーグが発足から2年目のシーズンを迎えました。島田さんは「千葉ジェッツふなばし」社長として、昨シーズンは年間観客動員数でリーグナンバー1、今年1月の全日本選手権では初優勝を果たし、数年前まで赤字で消滅寸前だったチームを人気、実力ともにリーグ随一の存在に押し上げました。その手腕を買われて今年9月下旬からBリーグのバイスチェアマン(副理事長)の要職にも就き、まさに社長業と「二刀流」の大活躍ですね。

もともとバスケットはおろかスポーツビジネス自体に興味があったわけではないんです。2010年にM&Aで自分の会社を売却した後、12年にジェッツのスポンサーだった知人に「社長をやってくれないなら、このチームは潰すしかない」と言われて引き受けたのがきっかけです。当時、チームはそれほど厳しい状況にありました。バスケットボール界にビジネスマン上がりのチーム代表はいなかったので、当初はだいぶ異端視されましたね。

チームは、まさに“瀕死”の状態からのスタートでしたが、いろいろな方々の支援のおかげで大きく育ちました。今シーズンも日本のバスケ界初の年間観客15万人超えを目指して、選手、社員が一丸となって戦っています。チームの成績も好調で、2年連続のチャンピオンシップ出場に向けてファンのさらなる後押しに期待しています。

Bリーグの仕事は、現在は週を半分に割ってチームとBリーグの業務にあてることにしていますが、だんだんBリーグとしての仕事が増えつつあります。やはりリーグが盛り上がり、バスケット界が全体として躍進するためには、まだまだやるべき「改革」がたくさんあります。

それまで二つに割れていた国内リーグを一つにまとめてBリーグの立ち上げをけん引したのは、サッカーのJリーグ初代チェアマンを務めた川淵三郎さんでした。その後、Bリーグ初代チェアマンになった川淵さんは、島田さんを「剛腕」と評していました。

私はビジネスの世界で苦楽を味わったプロですから、バスケットチームといえども、経営には厳しい目で挑んでいます。観客数の数値目標もとことん追いますよ。ジェッツだけではなくリーグ全体を活性化させるために、各クラブの代表を集めてジェッツの経営手法を伝える勉強会「島田塾」も開いています。

ただ、硬軟の使い分けは意識しているんですよ。こう見えて、学生時代は役者を目指して「欽ちゃん劇団」に入っていたこともありました。才能はいまひとつでしたが、コントづくりもしましたね。いまでも酒席でおやじギャグを飛ばします(笑)。

 

海外出張支援サービスで起業

ビジネスマンとしては、2001年12月に旅行ビジネスのベンチャー企業「ハルインターナショナル」を起業しました。具体的にどのようなビジネスだったんですか?

法人向けに、社員の海外出張や海外赴任の際のチケット手配などのサポート業務を行っていました。航空券を座席のクラス別や航空会社別でどこが安いか簡単にわかったり、社員がどの航空便に乗っているかを瞬時に把握できる顧客専用のウェブサイトを独自に開発しました。当時は大手の旅行代理店もそうしたサービスをしていなかったので、ビジネスとしては斬新な切り口だったと思います。

そうした業態になぜ狙いをつけたのですか?

もともと大学卒業後にマップ・インターナショナル(現エイチ・アイ・エス)に入社し、3年後に上司とともに独立して旅行会社を起業しました。経営は順調でしたが、ツアー旅行の需要はどこかで頭打ちになるだろうという思いも膨らんできました。

そんな中、2001年に米国同時多発テロ、いわゆる「9・11」が発生し、旅行業界は大きな打撃を受けました。ここが節目と考えて、法人客相手に仕事をする中でニーズを感じていたビジネスを新規で立ち上げようと思い至ったのです。

9・11テロで、特に世界を股にかけるグローバル企業は自社の社員の安全をどう確保するか、難題を突き付けられましたね。

当時、テロ事件だけでなく、SARS(重症急性呼吸器症候群)が発生するなど地政学的リスクが高まっていて、企業はリスクマネジメントが急務でした。ハルインターナショナルで開発したシステムは、そうした問題への対応のほか、コスト削減の点からも評価をいただきました。以前の会社の顧客だった世界的な企業がハルインターナショナルのサービスを利用してくださったので、そのおかげで信頼度が上がったこともあり、業績は右肩上がりに。従業員は30人ほどに増え、2009年3月には18億円弱の売り上げがありました。

ただ、いま思えば当時の私はワンマン社長でした。もともと独立志向があって、自己実現のために起業した面もあった。第一にIPO(株式上場)を目指していたのでいつの間にか利益至上主義に走ってしまっていたんですね。一方で、社員は激務の中で不満をため込み、社内の空気が悪くなっていきました。そして、ある日、社員たちが社長室に乗り込んできて一斉に非難されたのです。

社長と社員とが、向いている方向が違っていたことを初めて思い知ったと。

私も若かったので、当初は「社員に経営者の何がわかる」という思いも抱きましたが、自分が社長なのに会社に行きたくないという気持ちを持ってしまっては仕事も面白くなくなってしまう。よく考えてみれば社員たちの反発は当然のことだと思い至り、それまでの自分の言動を反省しました。それ以降は株式上場ばかりを目標とするのではなく、社員の物心両面をよくする会社にしようと経営方針を切り替えました。社員旅行などで社内のコミュニケーションをよく取るようにしたりして、会社の雰囲気も良くなったと思います。

 

社会人人生でもっともつらく厳しい判断

業績は好調。そして一時は社員と対立したとはいえ、改善された。その状況で、なぜ会社を売ろうと考えたのですか?

会社が良い方向に向かっている一方で、インターネットのサービスが急激に発展してきて、旅行会社の手数料ビジネスは長期的にみて環境が厳しくなるだろうと感じていました。細々とはやっていけるだろうけど、果たして私が社長でいることが社員の幸せのために本当にいいことなのか、悩み始めたんですよ。

それと、実は私は、タレントの故・大橋巨泉さんの生き方にあこがれていました。彼は芸能界の第一線にいながら、56歳で「セミリタイア」を宣言しました。私もできれば40歳までにリタイアして、国内外を行き来しながら悠々自適に暮らせたらいいなと考えていたのです。インテグループからダイレクトメールが届いたのは、ちょうどそのタイミングでした。

まさにご縁ですよね。インテグループに連絡を取ったところ、「本音」の話し合いができたと感じて信頼しました。そして双方に利益のあるM&Aができるというので、交渉をお任せしたのです。

会社を売却したのは、まさに39歳。話があったときは即断だったのですか?

いえ、そこから2カ月間、悩みに悩み抜きました。いま考えても、私の社会人としての人生でもっとも厳しい判断でしたね。自分は本当に社員の幸福を考えているのか、ただ逃げているだけではないのか。神社をめぐって声なき声に耳を傾けたり……。とても、つらい時期でした。心は揺れつつも、長期的な視野で考えると、従業員にとってきっとプラスになると判断し決断しました。

売却先の企業には、どのようなメリットがあると考えたのですか?

売却先のリロ・ホールディング(現リログループ)は、企業の海外赴任者の転勤支援を手掛ける事業をしていました。しかし、海外赴任の際の航空券の手配は、ほかの旅行会社に“外出し”していたので、ハルインターナショナルと一緒になれば、旅行会社に手配を頼むよりもコスト削減ができますし、グループ内でお金が回ります。さらに社員のリスクマネジメントもできますので、相乗効果でより多くの顧客を獲得できると考えました。

一方でインターネットの発達は早く、のんびりしていると企業価値が下がってしまうリスクがあったので、タイミングもよかった。売却額も、そうした要素を踏まえると満足いくものでした。

 

チームに明確な理念と目標を与える

そして晴れてセミリタイアするはずが、2012年にジェッツ社長に就任し、火の車だったチーム経営の立て直しに着手します。

瀕死のジェッツをなんとかしなければならなかったのですが、そもそも会社として戦う姿勢ができていなかったので、まずはそこを正しました。方向性が定まっていないから無駄に仕事が忙しく、社員が疲弊している状況でした。そこで私は、理念と目標を明確にして、それを実現するための体制を作りました。そして従業員とコミュニケーションを密にして背中を押す。結果を出させて自信をつけさせて……と、こうしたことを連続的にトライしていくうちに、少しずつ良い組織ができあがっていきました。

会社がよくなると、スポンサーやステークホルダーの支援もどんどん厚くなります。それを元手に選手に投資して、チームを強くして観客動員につなげていくという構図を描いていましたが、その狙いが当たった形です。

1月には全日本選手権で初優勝しました。確かなビジョンに基づいた努力が実を結んでいますね。

ただ、強いだけではダメで、魅力あるチームを作ることが大事です。魅力の中の一つの要素として強さがあるという考え方をしています。経営理念、チーム理念、われわれが社会のためになぜ存在しているのか、どういうふるまいが必要なのか。選手とは、こうした部分も共有すべきだと考え、明文化しています。バスケットがうまいだけの選手はジェッツは求めていません。

経営トップとして、ハルインターナショナルでの教訓をどう生かしていますか?

利益や観客動員にはとことんこだわります。一方で、ハルインターナショナルの時に株式上場に走りすぎて失敗したので、あまりガツガツやりすぎるのはやめようと決めています。スタッフを大事にして、社会やファンや、地元の人たちのため、なにかの役に立つことを第一に考えようと思っています。

M&Aが人生の大きな転機になったとも思いますが、いま振り返ってどう感じていますか?

売却を決断してよかったと思っています。当時は従業員からも疑問の声はありました。しかし売却先は現在、東証一部に上場し、従業員の環境も良くなっていると聞いています。

売却に当たっては、やはり「軸」が大切だと思います。次の挑戦への軍資金を作りたい人、負債が降りかからないようにしたい人、さまざまな事情の経営者がいると思いますが、まずは自分がなにを大事にしたいのか、軸をはっきりさせることが第一。そのうえで、本音で話せる仲介会社を見極めることが大切です。

バスケ界の「異端」がいまやけん引役として「顔」になっています。まだ40代。今後のビジョンはどう描いているのですか?

今後は……わかりません(笑)。近い将来、バスケットともスポーツ界ともまったく違うことをしているかもしれませんね。

(インタビュー日時:2017年12月11日)

【M&Aの経緯】
株式会社ハルインターナショナルは、島田慎二氏が2001年12月に創業。企業の海外出張や海外赴任の支援サービスに特化し、独自開発した出張管理の顧客専用ウェブサイトを提供。2009年3月期は売上高17億9千万円。もともと40歳で一区切りをつけたいという思いもあり、2009年夏にインテグループと契約。2010年2月にリロ・ホールディング(現リログループ=海外赴任者の転勤支援サービス等を行う東証一部上場企業)の子会社リロケーション・インターナショナルに100%株式譲渡した。